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東京高等裁判所 昭和55年(う)1394号 判決 1980年11月12日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役二年六月に処する。

原審における未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

押収してあるサンダル一足を没収する。

理由

本件控訴の趣意は被告人本人及び弁護人浦田乾道作成名義の各控訴趣意書に、弁護人の控訴趣意に対する答弁は検察官栗田啓二作成名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。

弁護人の控訴趣意一の1について

所論は、要するに、被告人及び原審弁護人は、原審において、被告人の原判示A(以下「A」という。)に対する一連の暴行が全体として正当防衛に当たる旨主張したが、右主張は過剰防衛の主張をも含むものというべきであるのに、原判決が、当初の段階におけるAの暴行に対する被告人の反撃行為を正当防衛に当たるとしながら、Aが転倒した後の同人に対する被告人の加害行為が正当防衛に当たらない旨説示しただけで、情状に影響のある過剰防衛の成立の有無について判断を明示しなかったのは、理由に不備がある、というのである。

しかし、正当防衛の主張には当然に過剰防衛の主張が含まれるというものではなく、原審公判調書を調べてみても、被告人あるいは原審弁護人が過剰防衛の主張をしたものとは認められないうえに、所論の過剰防衛行為については、法律上当然にその刑を減軽し又は免除しなければならないものではなく、減軽又は免除するかどうかは裁判所の裁量に任されたところであるから、右過剰防衛の主張は刑訴法三三五条二項にいう法律上犯罪の成立を妨げる理由又は刑の加重減免の理由となる事実の主張に該当しないものというべく、したがって、原判決がこの点に関する判断を明示しなかったことに所論のような違法はない。なお、原判決は、Aが転倒した後の同人に対する被告人の暴行が、急迫不正の侵害行為が存在しない場合におけるものであることを理由として、正当防衛に当たらない旨認定説示しているのであるから、これを前提とする限り、所論の過剰防衛の成立する余地のないことが明らかであり、原判文上明示されてはいないが、過剰防衛の成立を否定した趣旨を続み取ることができる。論旨は理由がない。

同一の2及び二について

所論は、要するに、被告人のAに対する反撃行為につき正当防衛の成立の有無を判断するには、その一連の行為を全体として評価すべきであり、しかも原判決の認定するところによれば、Aは転倒した後も攻撃を続行するかのような格好をみせていたというのであるから、急迫不正の侵害がなお継続していたものというべきであるのに、原判決が、被告人の一連の行為を細分し、Aが転倒する前の同人に対する被告人の反撃行為につき、正当防衛の要件を具備するとしながら、その後の被告人の暴行が、急迫不正の侵害行為が存在しない場面におけるものであるとの理由により、正当防衛に当たらないとしたのは、法律の解釈適用を誤り、理由不備の違法を犯したものであり、また、原判決が、その理由中「罪となるべき事実」の項で、被告人においてAが転倒してもはや新たな攻撃に出られない状態にあることを十分知っていた旨、「弁護人らの主張に対する判断」の(二)項で、Bが当時かなり高度にめいていしており、このことは被告人にもわかっていた旨、及びAが立ち上がって来ていない状況の下では、被告人が新たな攻撃を受けるおそれはなく、被告人も優にこれを認識していた旨それぞれ認定したのは、事実の誤認である、というのである。

そこで検討するに、原判決は、所論指摘の点に関し、「罪となるべき事実」の項において、Aが、電話中の被告人につかみかかり、被告人の体を押し、押し返されるや、被告人の顔面を一回殴り、更に顔面目がけて殴りかかるなどして来たため、被告人も自己の身体を防衛する意思でやむを得ずAの顔面中央辺を手けんで強く一回殴ったところ、同人が転倒したこと、そして、被告人は、Aが転倒してもはや新たな攻撃に出られない状態にあることを十分知りながら、憤激の余り、転倒したままの同人の顔面、腹部等をサンダル履きの足でけり上げ、あるいは踏みつけるなどの暴行を加えたことを認定判示し、更に、「弁護人らの主張に対する判断」の(二)項において、被告人が、Aから体を押され、更に二回にわたって顔面を殴りかかられた際、同人の顔面を殴り返した行為は、正当防衛の要件を具備するものとしてよいと考えられるが、その後は、Aが床に転倒し、そのまま起き上がりかねているのに、被告人はAの顔面や腹部等をサンダル履きの足で、執ようにけり上げたり、踏み付けたりして、同人の身体各所に暴行の強烈さを如実に示す重大な創傷を生じさせていることが明らかであり、他に、同人は当時かなり高度にめいていし、このことは被告人にもわかっていたこと、Aが先に被告人に対してした暴行は強くも的確でもなく、押したのは押し返され、顔面の殴打のうち一回は当たらず、他の一回も軽く当たった程度にすぎなかったことなどをも考え併せると、たとえ被告人が弁明するように、Aが転倒後も攻撃を続行するかのような格好をみせていたとしても、同人が立ち上がって来ていない状況下では、被告人が新たな攻撃を受けるおそれはなく、被告人も優にこれを認識していたと認定することができるから、Aが転倒した後の被告人の暴行は、急迫不正の侵害行為が存在しない場面におけるものであるとして、被告人の右暴行が正当防衛に当たらない旨説示している。

しかし、原判決が急迫不正の侵害がなかったものと認むべき事由として指摘する諸点のうち、被告人がAに対し執ように原判示の暴行を加え、同人の身体各所にその暴行の強烈さを如実に示す重大な創傷を生じさせたとの点については、反撃行為が侵害に対する防衛の手段として相当性を有するものであったかどうかを判断するうえでは看過することができないとしても、必ずしも急迫不正の侵害の有無を判断するに際して考慮すべき事情ではないこと、また、Aがかなり高度にめいていしていたとの点については、原判決が認定判示するところによれば、Aは酒癖がよくなく、過去に度々飲酒しては大声をあげて騒ぐなどの粗暴な言動があったことなどをそれぞれ考え併せると、右の諸点は必ずしも急迫不正の侵害がなかったと認むべき事由とするに足りず、更に、Aが先に被告人に対してした暴行が強くも的確でもなかったとの点については、それが急迫不正の侵害がなかったと認むべき事情の一つに数える趣旨であれば、原判決が他方において、右暴行を受けた被告人がすぐにAを殴り返した行為をもって、正当防衛の要件を具備するものと認めていることと矛盾するきらいがないではない。かえって、原判決が認定判示するところによれば、Aが、電話を掛けていた被告人につかみかかり、その体を押し、押し返されるや、被告人の顔面を一回殴り、更に顔面目掛けて殴りかかるなどしたうえ、被告人に殴打されて転倒した後も、被告人に対して攻撃を続行するかのような格好をみせていたというのであるから、その転倒の状況ないし動作の態様等のいかんによっては、Aが立ち上って来ていなかったとしても、なお急迫不正の侵害が継続していたものと解される余地がないわけではなく、原判決が、その説示するような事由のみによってたやすく、Aが転倒した後の同人に対する被告人の暴行が、急迫不正の侵害行為が存在しない場面におけるものであるとしたのは首肯しがたい。

のみならず、記録及び原審において取り調べた証拠を調査し、原判決の右認定判断の当否を検討するに、本件についてはこれを目撃した者が全くなく、主として被告人の供述によって事実関係を確定するほかはないところ、《証拠省略》を総合すると、被告人が、原判示日時ころ、判示のB組宿舎の階下九畳間で就寝していた際、かねて酒癖が悪く、度々飲酒しては粗暴な振る舞いをすることがあったAが酒に酔って大声で騒ぎ出し、睡眠を妨げられたため、同人に静かにするように言ってみたが、聞き入れられず、かえって「社長に電話するならしろよ。」などと開き直られ、仕方なく隣室の食堂へ行き、雇主であるCの自宅に電話を掛け、電話に出た同人の妻D子にAの非行を訴えていたところ、Aがすぐに被告人のそばへ来て、被告人が電話の話の中でAの名を呼び捨てにしているのを聞き付け、これに言い掛かりを付けて被告人につかみかかり、被告人の体を押し、押し返されると、被告人の顔面を一回殴り、更に顔面目掛けて殴りかかるなどして来たため、被告人がこれを避けてAの顔面中央辺を手けんで強く一回殴り返したところ、同人が床にしりもちをつく格好で転倒したが、その状態で被告人の方に向かって両手のこぶしを振り上げ、「この野郎」などと言ったので、その様子を見た被告人は、Aが再び攻撃してくる気配を感じて、とっさにしりもちをついている同人の顔面をサンダル履きの右足で強くけって、同人をあお向けに転倒させたうえ、続けて同人の顔面、腹部等を強くけったり、踏みつけたりしたことが認められる。被告人の当公判廷における供述もほぼ同旨であり(もっとも、被告人は、Aに顔面を殴られた際、被告人の眼鏡が飛んだ旨、また、Aがしりもちをついた際、「この野郎」と言っただけでなく、「殺してやるぞ」と言った旨供述するが、たやすく措信しがたい。)、他に右認定を覆えすに足りる証拠はなく、また、Aが被告人に殴り返されて床にしりもちをついた際、これにより、あるいは当時めいていしたことも加わって、被告人に対し攻撃を続行する余力を失っていたものとうかがわれる事情は見いだせない。以上認定の経過に徴すると、Aは、被告人に殴り返されて床にしりもちをついた段階に至っても、なお被告人に対する攻撃を継続する意図を抱き、その現われとみられる動作をしていたものとみることができるのであって、このような状況の下では、Aがいまだ立ち上がって来ていなかったことなどの原判決が指摘する諸事情を考慮に入れても、被告人に対する急迫不正の侵害がなお継続していたものと認められないわけではなく、右と異なる原判決の認定判断は是認することができない。そして、被告人が、しりもちをつき、次いであお向けに転倒したAに対し前示のような暴行を加えたのは、被告人の弁解のとおり、自己の身体を防衛する意思に出たものと認めざるを得ないのであって、被告人が、かねて酒癖の悪い粗暴なAに対して反感を持っていたこともあって、本件の加害行為に際し、憤激の余り攻撃的な意思もなかったとはいえないとしても、そのことの故に防衛の意思を欠いたものとすることはできず、被告人の本件加害行為は全体として防衛行為に当たるものといわなければならない。しかし、被告人は、殴りかかってきたAを殴り返して同人を床にしりもちをつかせたにとどまらず、いまだ急迫不正の侵害が継続していたとはいえ、しりもちをついたままのAの顔面をサンダル履きの右足で強くけって、同人をあお向けに転倒させたうえ、更に引き続き、無抵抗の同人の顔面や腹部等を何度も強くけったり、踏みつけるなどの暴行を加えて、原判示の傷害を負わせ、同人を死亡させたものであって、右犯行の態様は執よう、かつ過度のものであることは否定しがたく、明らかに防衛の手段としての相当性の範囲を逸脱したものというべきである。

以上を要するに、被告人の本件所為は、これを全体としてみると、刑法三六条二項にいう防衛の程度を超えた行為、すなわち過剰防衛行為として問擬すべきものであって、所論の正当防衛の主張自体は理由がないが、侵害の急迫性の要件を欠くとした結果、実質的には過剰防衛の成立をも否定したものとうかがわれる原判決は、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認、法令の解釈適用の誤りを犯し、ひいて理由不備の違法を犯したものというべく、原判決はこの点において破棄を免れない。論旨は結局右の限度で理由がある。

被告人の控訴趣意について

所論は、要するに、Aが死亡したのは、被告人の本件暴行の後、Aが自ら起き上がろうとして倒れた際、身体を何物かに強く打ち当てたか、あるいは誰か外の者に危害を加えられたことによるものとも大いに考えられるから、被告人の本件暴行によりAが死亡したものと認定した原判決には事実の誤認がある、というもののようである。

しかし、原判決挙示の各証拠を総合すると、被告人がAに対し原判示の暴行を加えて、同人にくも膜下出血、左右肋骨骨折、脾臓破裂等の傷害を負わせ、同人を脾臓破裂に基づく内出血によって死亡するに至らしめた事実を認定した原審の措置は、原判決がその理由中の「弁護人らの主張に対する判断」の(一)項において、Aの脾臓破裂が被告人の暴行に起因するものであり、被告人の行為とAの死亡との間の因果関係に疑問をさしはさむ余地のないことについて詳細に認定説示するところを含めて、優にこれを首肯することができるのであって、当審における事実の取調べの結果を併せて検討しても、原判決の右認定判断に事実の誤認があるとは思われず、Aが脾臓破裂の傷害を負って死亡したのが、所論のような同人自身の行為により、あるいは、被告人以外の者から危害を加えられたことによるものではないかとの疑いをいれる余地は全くない。この点に関する論旨は理由がない。

よって、量刑不当の控訴趣意に対する判断を示すまでもなく刑訴法三九七条一項、三七八条四号、三八〇条、三八二条により、原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書を適用して、被告事件につき更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五五年二月下旬ころから有限会社B組(代表取締役C)に土工として雇われ、東京都江戸川区《番地省略》所在の右B組宿舎で寝泊りするようになったが、同室となったA(当時四九歳)が度々飲酒しては大声をあげて騒ぐため、日ごろから同人を不快に思い、右Cらに部屋替えを求めたり、自らも右Aに対し直接自粛を促したりしていたものであるところ、同年三月一一日午後一一時三〇分ころ同宿舎の階下九畳間で就寝していた際、傍らで飲酒していたAが大声で騒ぎ出し、睡眠を妨げられたため、同人に静かにするように言ってみたが、聞き入れられず、かえって「社長に電話するならしろよ。」などと開き直られ、仕方なく隣室の食堂へ行き、Cの自宅に電話を掛けて、電話に出た同人の妻にAの非行を訴えた。しかし、Aはすぐに被告人のそばまで来て、被告人が電話の話の中でAの名を呼び捨てにしているのを聞きつけ、これに言い掛かりを付けて被告人につかみかかり、被告人の体を押し、押し返されるや、被告人の顔面を一回殴り、更に顔面目掛けて殴りかかるなどして来たため、被告人は、右のような急迫不正の侵害に対し自己の身体を防衛する意思で、Aの顔面中央辺を手けんで強く一回殴って食堂内出入口付近の床にしりもちをつかせたうえ、同人がなおも両手のこぶしを振り上げ、「この野郎」とどなるなどして被告人に対する攻撃を続行するような動作をしているのを認めるや、とっさに同人の顔面をサンダル履きの足で強くけって同人をあお向けに転倒させ、更に転倒したままの同人の顔面、腹部等を強くけったり、あるいは踏みつけるなどの暴行を加えて、同人にくも膜下出血、左右肋骨骨折、脾臓破裂等の傷害を負わせ、翌一二日午前六時二〇分ころ右九畳間において、同人を脾臓破裂に基づく内出血によって死亡するに至らしめたものであって、被告人の右行為は防衛の程度を超えたものである。

(証拠の標目)《省略》

(弁護人らの主張に対する判断)

弁護人及び被告人本人は、被告人の本件行為は、Aからの急迫不正の侵害に対し自己の身体を防衛するためやむことをえざるに出たものであって、正当防衛に当たる、と主張するが、その理由のないことは、先に弁護人の控訴趣意一の2及び二に対する判断の項で説示したとおりである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇五条一項に該当するので、その所定刑期の範囲内で処断すべきところ、量刑の事情について検討するに、本件犯行の罪質、態様、結果、被告人の前科関係等、ことに本件の結果が人一人の死という極めて重大なものであるばかりか、これを招来した被告人の本件暴行がまことに執よう、かつ、強烈なものであって、悪意であることなどに徴し、その刑責は重いといわざるを得ないが、本件所為が前示のとおり過剰防衛であって、被害者にも責められるべき点のあること、被告人が、かねて酒癖の悪い被害者の粗暴な振る舞いに悩まされ、何度も雇主らに部屋替えを求めたが、聞き入れられなかったため、本件犯行時まで被告人と居室を共にせざるを得なかったこと、被告人が、犯行後被害者の顔面等に付着した血痕をぬぐい取ってやったり、布団等を掛けてやるなどして介抱し、自ら救急車の手配をしていること、被告人が更生を誓っており、将来被害者の遺族に金銭的な償いをする意思があること、その他被告人の年齢、経歴、境遇などの被告人に有利な、又は同情すべき諸般の事情をも十分に考慮したうえ、被告人を懲役二年六月に処し、刑法二一条により原審における未決勾留日数中六〇日を右刑に算入し、押収してある前掲のサンダル一足は、判示犯行の用に供された物で、被告人以外の者に属さないから、同法一九条一項二号、二項本文を適用してこれを没収し、原審及び当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項ただし書を適用してこれを被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 新関雅夫 裁判官 下村幸雄 小林隆夫)

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